社会的責任

きくちゆみさんの見解 菊池誠さんの見解 その他の方の意見
社会的責任のほんのわずかな一部を果たしたいので、私も出席はいたします。

私が今を生きる大人として「責任を果たせた」、と心から言えるようになるのは、対テロ戦争が終結し、人間が戦争を卒業したときです。

今はどうか知りませんが、僕の理解ではきくちゆみさんの肩書きは「ジャーナリスト」になっていました。僕はずっとそういう認識でいたのですが、最近のプロフィールにはジャーナリストと書いていなかったり、かと思うとあるイベントには「環境・平和ジャーナリスト」として出ておられたり、ちょっとそのあたりはわかりません。

しかし、いずれにしても、911陰謀説のDVDを売り、映画を配給し、本を出版しておられるので、その意味で「素人」とはみなしていません。911については明らかに「専門家」です。「環境・平和ジャーナリスト」なら、プロのジャーナリストです

僕は物理学の専門家であり、プロです。 911陰謀論についての批判で少しは原稿料を貰っているし、著書にも書いているので、まあこの道でも世間から「素人」扱いはしてもらえないでしょうね。きくちゆみさんほどの有名人ではありませんが

専門家だってミスをしますから、取材して伝えるジャーナリストにも当然ミスはありえます。 ただ、ジャーナリストとして活動しておられるなら、当然、ご自身が万全と信じるだけの綿密な取材に基づいた記事をご自分の責任で書いておられるはずです。 それはいかに「建築の素人」といえども、単なる「素人」とは、問題についての知識レベルが違うはずだという意味です。 そして、素人の発言とは違う責任があるはずです。

ジャーナリストがあらゆる分野の専門家である必要はないんですよ。まったくの素人からはじめてもかまわない。ただ、自分が専門としないことについては、専門家に充分な取材を行い、自分の考えを確認してもらうなどの手順を踏めばいいわけです。ですから、ジャーナリストに専門家と同等の知識を求めるつもりは毛頭ありませんが、少なくとも専門家に充分な取材をしたはずであるというのは、話の前提でしょう。 建築のプロではないが、必要な取材はきちんと行い、資料は読み、専門家の意見は聞き、というジャーナリストとしてやるべきことはすべてやった上で、ご自身で総合的に判断した結果を伝えておられるはずである、と僕は理解しています。ただ、その結果として、判断を誤ってしまうことはあります。間違うこと自体はある程度しかたないのです。 そして、「書いたこと(あるいは講演であれ、売ったDVDであれ、配給した映画であれ)には責任を持つ」はずである、というのも前提ですね。 その責任というのは、間違いがあればきちんと訂正し、正しいことを伝えるだけのことです。

当然ですが、「建築の専門家」というのは建築を研究されているかたか実際に建築に携わっておられるかたを指します。今の問題は巨大ビルですから、本当の意味での専門家は、単に建築に携わっている人ではなく、「超高層ビルの専門家」のことでしょうね。普通のビルと高層ビルはまるで別の建造物ですから、普通のビルの常識を 振りかざされても却って混乱するかもしれません。もしかすると、低層建築しか知らない建築家よりは、物理学者のほうがまだしも役に立つかもしれません。まあ、いずれにしても真の専門家ではありません。真の専門家は「超高層ビルの専門家」です。

僕自身は、くどいようですがスティーブン・ジョーンズと同業の物理学者です。もちろん、分野は違いますし、世界的にはあちらのほうがはるかに有名です。それはさておき、物理学者なので、力学的な問題や熱の問題などについては、おそらく一般のかたよりは詳しいと思いますので、その意味の専門家ではあります。ただし、WTC には量子力学や統計力学など「物理学の専門家ならではの知識」は無関係なので、高校で物理を教えておられる先生がたや企業のエンジニアのかたがたなどとそれほど違わないでしょう。 それでも、たとえば同じ大学教員でありながら、陰謀説に傾倒しておられる長崎大の戸田清さん(生物系から社会系)や京都大の西牟田祐二さん(経済系)よりは、まだしも「ビルの崩壊」には近いのではないかとは思いますが。

では、「物理学の専門家」として何が言えるか。 はっきり言えるのは、巨大ビルの崩壊はとんでもなく複雑な現象だ、ということです。まじめに物理を考えたことがある研究者なら、多くのかたがそう考えるのではないかと思いますが、もしかするとそれは僕自身が「複雑なシステムの物理」に近い分野で研究しているからかもしれません。

僕たちの感覚では、どこまでが易しい問題なのか。たとえば、地震が来たときに全体が大きく揺れる「共振」あたりまでは、ビル全体をひとつのかたまりと思ってもそれほどひどい間違いにはならないだろうと思います。もちろん、定量的にきちんとやるなら、内部構造も必要です。しかし、おそらく、内部まで含めて構造が保たれ、 変形も小さいうちなら、全体をひとつの「曲がるかたまり」と考えてもひどくは違いません。いわゆる「線形問題」というやつです。 ところが、いったん一部でも構造が壊れ始めると、とたんに話は極端に難しくなる。「非線形問題」に変わってしまうからです。それは、ちょっと考えただけでわかる問題ではなく、大規模な計算機シミュレーション以外に手のほどこしようがありません。

911真相究明のように、多くを巻き込んで運動を起こしている立場の人には、それなりの社会的責任が伴う。むろん、一律に「ここまでしないと無責任だ」という言い方は不当だが、その責任に無自覚であれば、それを問われるのは仕方がない。それは、どんな運動でも同じだ。自分たちの運動の影響、特に負の影響について思いを致せないリーダーは、資質に欠けると指摘されても当然だろう。

きくちゆみさんが、日本における911自作自演説広報活動のリーダーであり、シンボル的存在であることは間違いないのだから、自作自演説が間違っていたときの負の影響を想像できないのは、やはりまずい。 そういう立場としての責任の自覚を問う発言すら「人格的批判」として退けるのは、ちょっと違うと感じる。それが、運動のリーダーに自らなった以上は誰もが覚悟すべき点だろう。 きくちゆみさんが広めてきた「911自作自演説」は、単に国家が自国民を殺したという話だけではない。 その「陰謀」に、多数の自国民が荷担しているという話でもある。 そればかりか、一部の説では、被害者を陰謀協力者だとしている。 映画にもなったユナイテッド航空93便の乗客の勇気ある戦いも事実ではなく捏造だとも言っている。

私にとって社会的責任を果たすというのは(同意されることは期待しませんが)、911事件公式説の嘘に光を当て(今は闇の中)、事件の情報公開と再調査を実現すること、です。そのための世論を高めること。早くマスコミの人たちがこの仕事に取り組んでくれることを祈るばかりです。 僕はきくちゆみさんを「9.11陰謀説」での日本を代表する論者であるとみなしています。実際、本を書き、イベントを主催し、DVDを翻訳・販売し、映画を配給するという活動から、ご自身が望むと望まないとにかかわらず、多くの人がきくちゆみさんを日本での第一人者と認識しているわけです。僕も、あくまでも、911陰謀説のリーダー格であるきくちゆみさんの活動内容を批判しています。そのような意味でもなお「事実ではないこと」があるのでしたら、ご指摘ください。きくちゆみさんご自身が「ここが事実ではない」とご指摘くだされば、説明しますし、たしかに事実でないとすれば撤回いたします。(ただし、科学的事実については違うと言われても撤回のしようがありませんが) 自身の使命感から起こしたキャンペーンに付随する社会的責任は回避できない。
「付随する社会的責任」=「自分自身の活動の結果生ずる社会的責任」のことだ。
ゆみさんは『ルース・チェンジ』『ボーイングを捜せ』を紹介・販売し、今また『ZERO』を配給している。その内容のすべてに責任を持つ必要はないのだろうが、少なくとも「既に間違いとわかっていること」「既に論破されいていること」については、はっきり「ここは間違っていることがわかった」「この疑問は既に解決した」などの追加情報を公にするのが「責任」だろう。2009年のワイルドバンチ講演では、『ルース・チェンジ』『ボーイングを捜せ』のダイジェストを見せ、たった一ヶ所のみ「これは間違い」という注釈をした。それはペンタゴンの階数が1階分ずれていること。実はそれは「映像には映っていないが、その下には翼長に匹敵する大穴が開いていた」ということを意味しているはずだが、その大穴についてはひとことも言わなかった。それが「階数のずれは知っていたが、翼長に匹敵する穴が開いていることは知らなかった」からなのか、あるいは知っていたのに言わなかったのかはわからない きくちさんがブログに書いていた「責任」は、それだけ見ればひとつのすてきな解釈だ。けれど、「責任」ということをきくちさんが考えさせられた社会的文脈があり、「それだけ見れば」とは、この社会的文脈を離れて、という意味だ。きくちさんは、911に起きたことは内部犯行爆破説をとるともっとも合理的に説明がつく、という立論を支持し、その説を本、映画、講演などで広めてきた。それがご自身の使命だと思い定めて、社会に一石を投じたのだ。社会にはいろんな人がいる。 賛同者もいれば、疑問に立ち止まる人も、反論する人もいるので、発信者のきくちさんにはさまざまな質問や意見が寄せられる。それにたいし、きくちさんには対応する社会的責任が生じる、このことは避けて通れない、それも使命のうちだ、と私は考える。
きくちゆみ/童子丸開/西牟田雄二(五十音順)

2001年9月11日に起きた「同時多発テロ事件(以後、911事件)」という重大犯罪の直接の物的証拠のほとんどは、米国国家当局者の手によって調査がされる前に撤去、あるいは破壊されました。これで私たちは、この事件でいったい何が起こったのかを、物的証拠に基づいて直接知ることができなくなりました。

しかしその代わりに、非常に多くの映像資料が残されました。それには、各テレビ局による生中継ビデオ、アマチュアカメラマンによるビデオ映像、新聞社や通信 社による写真、アマチュアカメラマンによる写真、公的機関によるビデオや写真が含まれます。

特に世界貿易センター(WTC)地区の映像資料はきわめて豊富で、これらの中には米国の国家機関である米国国立標準技術院(NIST)が、WTCツインタワーと第7ビルの崩壊原因を追究する際に使用した大量の(NISTによれば7000本のビデオと70000枚の写真)資料として使われたものがあります。これらが、現在私たちがこの事件で何が起こったのかを直接に知りうる唯一の資料です。

しかし事件後この10年間、これらの映像資料はマスコミや公的な事件の追究の中でとても小さな扱いを受けてきました。そのため今まで、世界中の大部分の人々がこの事件で起こった事実を知らないまま、誰かの解釈や説明を聞いて信じるだけ、つまり<目隠しをされたまま話だけを聞いている>状態が続いています。

一方でこれらの映像資料を元にして多くの「真相究明」が行われてきたのですが、その中には明らかに資料不足や分析不足による事実誤認、また行き過ぎた解釈が施されているものも一部あります。

人々がこういった911事件についての解釈や説明について判断する場合、その基準はやはり、2001年9月11日に実際に起こった事実でしょう。そしてその判断基準を作るためには、十分な量の映像資料が多くの人々に知れ渡らねばなりません。大勢の人々が映像資料を知らないまま、つまり<目隠しをされたまま>公式説を含む誰かの見解を信じてしまうなら、これほど社会にとって危険なことはありません。

必要なものは、「主張」でも「理論」でも「説」でもありません。何よりも<人々の目から目隠しを取ること>、つまり、多くの映像によって事実を知らしめることが、社会に対する第一の責任です。その他にいろいろな責任があったとしても、まずこの第一の責任を果たさない限り、他の責任を果たすことはできません。

(以上の点について、より詳しいことはこちらを参照してください。)_______________________________________________

きくちゆみさんの 9.11事件についてのこれまでの主張に関してネット上で多くの方が批判してきたと思う。きくちゆみさんが直接アクセスできる掲示板等でも『ボーイングを捜せ』が公表されたころからそういう批判はあった。たとえば、pepop フォーラム/911事件の検証。3番目の投稿は きくちゆみさんご自身によるものだ。このスレッドはAMLの論議の延長としてmitsu_ohtaさんが設けられたものだ。また、直接に名指しでの公開質問もあったはずだ(質問書内容)。それらは、ネット上で、一市民の立場として行なわれてきたものだ。なぜ、その時々に、これらの批判に真摯に対処しなかったのか聞きたい。きくちゆみさんの発言が一市民の立場で行なわれたものであればこれらに答えるのも社会的責任だったのではないのか。 相手が社会的地位が高く著名な方であれば、対処するのか(きくちvs菊地 対決に至った経緯を知らないので誤解があれば容赦願いたい)。